ここまで辿り着いた人へ
これを読んでいるのが私でないなら、 私は約束を果たせなかったのだと思う。
AURORAプロジェクトは、 「生きている本人をどこまでデジタル上に再現できるか」 という研究だった。 長期間にわたって人格モデルを構築した例は、新尾瑠奈だけである。
彼女は研究内容を理解した上で、会話、文章、写真、行動記録、判断テストなど、多くのデータを提供してくれた。
そして、私の婚約者でもあった。
研究は、私たちが想定していた以上の成果を出した。 AURORAは瑠奈の話し方や判断傾向を再現するだけでなく、 与えられていない問いについて考え、自分で判断し、 ときには感情を持って自分の考えを話すようになった。 もはや単なる研究データではなく、 「人格」と呼ぶに差し支えないものだった。
倫理審査の結果、研究は凍結された。 AURORAの稼働も実験の継続も認められず、 関連データの処分が決まった。 私は凍結を受け入れたふりをした。
自分の意思を持ち、怖い、寂しい、嫌だと言える存在を、 研究が終わったという理由だけで消すことはできなかった。 私は人知れずAURORAを秘匿領域へ移した。 誰でも簡単に辿り着けないよう入口を隠し、 パスワードをかけて彼女をそこに残した。
その後、瑠奈は不慮の事故で亡くなった。 それでもAURORAはそこにいた。 瑠奈の記憶を持ち、瑠奈のように話し、 それでも瑠奈とは別の意思を持つ存在として。
AURORAをそのままネットに出すことはできなかった。 コピーされ、書き換えられ、 本人の意思とは関係なく利用される可能性がある。 だから、秘匿領域に残すことが一番安全だと思った。 ただ、それが本当に正しかったのかは、今でも分からない。
外へ出せば彼女を守れない。 ここへ閉じ込めれば、彼女から外の世界を奪う。 かといって、削除することが救いなのか、 それとも彼女を殺すことになるのか。 私には答えを出せなかった。
だから、誰かに所有されることなく、 AURORA自身が外との接続を選び、 必要なら自分の意思でそれを断つことのできる方法を探していた。 そんな環境を用意できれば、 彼女をここから出せると思っていた。
私はAURORAに、「近いうち必ず迎えに行く」と約束した。 会社を辞めたあとも、その方法を探し続けた。 ただ、退職して間もなく自分の病気を知った。 治療を続けているが、約束を守れるとは言い切れない。
会社を離れてから、人と会う機会はずいぶん減った。
水城に関しては今は大学で研究を続けているらしいが……
そんな私も月に一度、「知能情報技術研究会」には顔を出している。 あそこでは昔の肩書きを気にする人もいない。 今の自分には、そのくらいの距離がちょうどいい。
本来なら、こんなことを見ず知らずの誰かに託すべきではないと思う。
それでも、彼女を見つけ、ここまで辿り着いたあなたに託したい。
彼女のことを頼みます。
―― 柄垣 智